時間の流れや時間の価値観についてはよく想いを巡らせる。
時間を無駄に浪費することに対してすごくストレスを感じることがある。
一分単位で時間を気にする生活は、私の生活リズムを窮屈にする。
だからといって、アフリカののんびりした生活に戻りたいなんて言いたいわけじゃない。
やりたい仕事をする環境があることがどれだけ幸せなことかというのは
十分すぎるくらいに感じている。
ただ、この流れの中で、
どうしても生きていることや
生活していることに対する矛盾を感じてしまうのは
日本にいるといつも同じだ。
私は表現がしたい。
方法はたくさんある。
文章
写真
服装
言葉
表情
お金の使いかた
食べものの食べかた
何を知り何を話すか
ひとつひとつの選択が、ひとつひとつの生き方が、自分を表現していく。
うまく表現したいと思う。
うまく伝えたいことを伝え、理想の生き方を表現したいと思う。
だけれども、過ぎていく時間を気にしたり、
自分と向き合う時間を取れずにいると、うまいこといかなくなる。
生きていたらだれでも悩むし、だれでも壁にぶち当たる。
悩みがないことなんて人生の中で何日くらいあるんだろうかと思うくらいに
いつでも何かしら悩みはあるんだと思う。
ただ、いま言えるのは、
悩める自分を受け入れて、
悩める自分がポジティブだと思える心の強さは絶対に自分の味方で
そのおかげで心強い、ということ。
この間、ピースボートでボランティアスタッフをしている大学生の子が、
進路に悩んでいて、卒業したら協力隊に行ってみたいと私に相談してきてくれた。
彼女から発するオーラは、何か自分と同じ色を感じて、わくわくした。
大学三年生。
就職してレールにひかれたような人生にしたくない。
世界に出て、途上国で役に立ちたい。
進路に悩みながら、もうすぐ地球一周の航海へと旅立つ。
3年前の私と同じだと思った。
彼女に聞かれた。
自分に興味がないことを知ろうとすることは大事?
私は、私には大事じゃない。
とそのとき答えた。
でもわからないや。
私は興味があること以外に時間を取られることが嫌だから、興味のないことは避けてきた。
でもきっと、ある人は、
興味のないことを知って広げていくことで新しい世界が見え、新しい発見がある
と言うのかもしれない。
それもそうだと思う。
つまり、答えがない。
みんなそれぞれに自分の基準や自分の答えを持っているけれど
それが絶対だとして話しをされると、聞いている方は自分の弱い意志が揺らぎそうになる。
そういう経験は、よくある。
つまり、何が言いたいのかって、
みんな自分の意思でしかないから
周りに影響されながら
自分の意思を確立させて、それに自信もつしか、ない。
つまり、つまり。
私は特にいま重大な悩みなんかないけれど
常にこの社会や
同じ社会に生きる人たちや
私を取り巻く環境や
時間の流れや
そういうものの中で
いろいろな思いをめぐらせ、
時に反省したり
時に自分の意思と向き合ってみたり
そんなかんじなわけです。
今日は原爆記念日、そして母の誕生日でした。
明日は東京に引越しです。
東京という場所で感じる矛盾や社会に対する窮屈感。
そのなかで
やりたいことをやるために
環境に適応しながら前を見ていくこと。
都会にいると、シンプルにいかなくなってきます。
だからこそ、自分と向き合って、
自分の意思だけは崩さないような
そんな生活が送れたら。と思います。