WILD TURKEY







夏沙のブログ-wild turky


やっぱりすき。

ここがすき。

電車を降りてここに向かう。

やってるのかお休みかは外から見ただけじゃわからないような

ただひっそりとここにあるだけのような外からは灰色のドアに灰色の看板


ドアを開けると、あったかい茶色い空気と

心地よい音量で身を包んでくれる音楽。


いすもテーブルもすべて統一していないのに

ばらばらのひとつひとつがこの空間を作り上げていて


今日の発見は

セルフになっているお水のグラスひとつひとつもばらばらで

私が水を入れたこの背の低いしっかりとしたグラス

冷えた水がグラスを曇らせてきれい

中からのぞいた底には鳥の絵とWILD TURKEY って文字が彫ってあった



二つとなりの向かいに座っている白髪のおじいちゃんは新聞を両手で広げたまま

眠ってしまった

そうこの時間はおじいちゃんが多い


夜になると若者がお酒を飲みに来るんだけど

私はこの平日の昼下がりの時間

この空間に身をおく自分がすき


ここにいると

いろんなことを考えるけど




人生なんてきっとあっという間だから

やりたいことはちゃんとやって

なりたい自分になって

幸せを感じていたいでしょ


だから

今どうあるべきか

今をどう過ごすかって考えるんだけど

でもよく前ばかり見て未来の幸せのために

今を生きている様な気がする


今に満足できないで未来に満足するために今をという時間の流れの速さには鈍感になる


問題は

何が幸せなのかということ



幸せなんてみんな自分で決めるんだから

みんながどんな人生を生きていたって幸せを十分に感じているのなら

その人はひゃくてんまんてん


せかいへいわだとか

かんきょうはかいだとか

ひんこんもんだいだとか


考えれば考えるだけ自分の幸せとリンクしなくなりそうに思うけど

でもちゃんとリンクしてることなんてわかり切ってて



でもだからって身近な幸せを飛び越していくのには心が追いつかなくなるでしょう



なにをしていたら


がひゃくてんまんてんで幸せなのかを

常に心で感じながら

今を

生きていたいと

思うけど


日常とかんじてしまう日常のなかで

それは難しいことがおおい



成長や発展や進歩や


人間関係や



人と人だけで生きているわけではない

この地球で


ひとは

ひととひととのことに

精一杯になって


頭ん中ひとのことばっかり

自分もひとだけど




ひとが

みんな自分はしあわせだなぁ~ってのほほんと思えたら


そしたら


せかいへいわ


は達成したことになるのかな



のほほんと幸せをひゃくてんまんてんで

感じられない人がたくさんいる国で


他の国のひとの幸せばかり願ったってだめだし


でもほかの国の人の幸せを願って生きている人が幸せなら

それはもうひゃくてんまんてん


地球はまわって


ひとも生と死を繰り返して


そのなかでただ生きていればいいだけのひとたちの集まりは

どうしてこんなに複雑なのでしょうね





なーんてことを WILD TURKEY のグラスに入った水を眺めながら考えて



今度は

ドアを開けたら

元のコンクリートで舗装されつくした世界


太陽は無かったから

冷たくなってきた空気が

夏が終わった寂しさを体に伝えてくれました。



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