夏とおじいちゃんとスイカ




夏にはなぜか、特別な思いがある。

夏がくるといつも心が踊り
秋が近づくといつも
心から寂しく感じる。

多分、学生時代の夏休みがうれしかったことや
夏がくると誕生日がくることや
大好きなスイカやひまわりの季節なことや
地元の田んぼが青々としてきもちいいことや
お祭りや花火大会があることや
何より、暑さか気持ちいこと!
(東京の暑さは嫌だけど。)

社会人の夏は、夏休みもないけれど
夏にたいする感情は変わらない。

8月。

長野・北海道ときて
今週末は仙台だった

両親は優雅にハワイに三カ月行っているし
忙しそうな兄とも会わないし
大好きな地元・海老名に帰る機会も少ないままに夏を過ごす。

私の家族は、死んじゃった犬も含めてみんな、夏生まれ。

おじいちゃん・おばあちゃんまで。

この間は、おばあちゃんの誕生日で会いに行った。

photo:02


92歳のおじいちゃんと、85歳のおばあちゃんはとっても元気だけれど、
いつかはいなくなってしまう2人との時間がすごく貴重で大切だと思って
時間とタイミングさえあれば
2人に会いに行きたいと思う。

最近読んでいる小説は、戦争の話で、沖縄戦やラバウル戦のはなしが出てくる。

92歳のおじいちゃんは、昔、沖縄戦にいっていた。
数年前に無くなった出雲のおじいちゃんは、ラバウル戦に行っていた。
私は、初めてのピースボートの船旅で、ラバウルを訪れて、日本軍戦跡を巡ったことがある。

沖縄には、五年前に一年間、住んだことがある。
どちらも、当時は、おじいちゃんが戦争でここに来てたんだな~
なんて、たいして想像も出来なかったけれど

いま、小説を読みながら、
私の2人のおじいちゃんの「戦争」が、少しリアルになっているのを感じる。

沖縄は、本土から11万人が戦争へ行き、たったの1万人しか生きて帰らなかった場所。
その一人が私のおじいちゃん。

おじいちゃんが生きて帰らなかったら、私はいなかった。

小説の中でのラバウルは、「搭乗員の墓場」と呼ばれ、激戦の様子が書かれている。

私が七年前に見たラバウルの戦跡を
今、また見たら、
全く違った感情を持つだろうと思う。

ラバウル戦に行ったおじいちゃんが、ラバウルで何をしていたのかは
結局聞けないまま、おじいちゃんは亡くなってしまったけれど
2人のおじいちゃんが、生きて帰らなかったら、私はいま、いない。

戦争のことは
私にはわからないことだらけで
下手に「平和!」
と叫べない感情も少しあるし
戦争責任とか、靖国神社だとか、自衛隊がどうとか、
私には偉そうな意見を言うほど
何もしらないと思っている。

だけど、
おじいちゃんたちが
生きていてくれて

お父さんとお母さんが生まれて
私が生まれて

本当に奇跡だなぁ、と

単純だけど、思ってしまう。

92歳のおじいちゃんからは、
最近会うと私は必ず、戦争の話を聞く。

「子ども」という時代を卒業して、
いまだからこそ、おじいちゃんの話を
まっすぐ想像しながら聞くことができるし、
聞きたい、という切実な思いが私の中に生まれている。

という思いを抱える今年の夏。

今日は、シゴトの後、
沖縄時代の大切な友達と、渋谷で飲んだ。
終電まで止まらない会話をしていることが
やけに嬉しくて、
人生の話や、恋愛の話や、いろいろ本当にいろいろ、たくさん話して、たくさん、飲んだ。

ちょっと飲みすぎて疲れた体で
ひとり帰り道の途中、スーパーで
すこし大きめのスイカをまるごと一個買って帰った。

今日はなんだか
自分に優しくしようとおもって
なんだかわからないけど、自分への、ご褒美だ!とか思ってスイカを買った。

帰って、スイカを切って、冷凍庫にいれて、シャワーを浴びた。
冷凍庫から取り出したスイカは
いい感じに冷えていて、
お酒の回った体に染み渡った。

やっぱり夏は、スイカがあるから最高なんだ!
と思って気持ちよくなって
まだたくさん残っているはずの夏を
すでに少し寂しく思い、
明日の朝食べるスイカをたのしみに、今日寝られることに
小さな幸せを感じたのでした。

photo:01