カテゴリー別アーカイブ: 【家族のはなし】

繁幸商店

「ワイキキビキニまんじゅう」の次は、「繁幸商店」です!!!
以前ミクシーに載せたワイキキビキニまんじゅうがその後どうなったか
とのお問い合わせはちらほら頂きますが
実は、進展がなかなかありませんでした。
(あ、ワイキキビキニまんじゅうというのは、父が、ハワイで饅頭屋を開く!って張り切っていたのです)
パッケージ制作と試作の段階まではいきましたが
その後
愛犬ヒッポを置いては日本を離れられない為に進展がありませんでした

始まりました
「繁幸商店」 !!!
繁栄して幸せになる商店です。
いや、父・繁 母・幸子 商店です。  笑
夏沙のブログ-1
最近、実家に帰ると、自家製の食品が増えているんですよ。
で、今回は瓶にラベルまでついてて
「安全を食卓へ 繁幸商店」
って書いてあって 本気だ!!!と思って笑った。
斉藤農園(父の友人の斉藤さんの畑)でとれた完全無農薬の野菜やいろいろを
漬けたりして
配っているらしい。
私にも一瓶くれた。
夏沙のブログ-3
母は母で
斉藤農園でとれたサツマイモを使ってチーズケーキを作ったり
つくっていた梅酒を飲んで喜んでる。
しかも・・おいしい♪
私ずーっとまえからさ
うちの両親はカフェか料亭かやればいいのにって思ってた
30年間教師だった2人は
2年くらい前に退職して
毎日いつでも2人一緒に
料理したり散歩したり旅行したり
幸せそう
実家に帰るのはいつも楽しみ
おいしいご飯がまってるおうちがある一番の幸せ。
いつか私が自営業して
繁幸商店の食材を使ってカフェを開くんだー
今日は地元の秋祭り。
田舎臭いこのお祭りが好きで、久しぶりに行ってみた
夏沙のブログ-4
超・田舎くさい!
けどこ~ゆう
日本っぽくて田舎っぽくて
平和だなあーーと思えて
日本って平和だな~って思って
ちっぽけな世界で生きる平和な世界で十分だと思って
世界中のみーんなそんな風に自分の周りのちっぽけな平和な世界で生きていければ
世界平和とかそーんなでっかいこと言わなくたって
ただ、幸せなのにね。
夏沙のブログ-5


日本の夏を想う2

私にとって、夏と言ったら、おじいちゃんが住んでいた出雲での思い出が大きい。
子どもだった頃は毎年夏休みになると長期で出雲に親戚が集まって
おじいちゃんを囲んだ楽しい夏休みを過ごした。
出雲は母の生まれ故郷で、
私が2歳の時になくなった祖母に残されたおじいちゃんが一人でお醤油とお味噌工場を経営していた。
おじいちゃんの家に着いたときの、お味噌とお醤油の臭いは今でも思い出せる。
出雲の田んぼは、私の心の中にいつまでも日本の夏として残るきれいで忘れられない風景。
青々と育った田んぼの向こう側に、黄色い2両の一畑電車がのんびりと走る。
家と畑と青空が、日本の夏の風景を作り出す。
日本海の海は、きれいだった。
素潜りの得意だった兄と、海の生物に詳しくて海の遊びを知っていた父について
私も一緒にサザエや魚を捕って楽しんだ。
海から帰ると、直行するのが、おじいちゃんちのすぐそばにある「くろだ」というかき氷屋さん。
まさに世界で一番おいしいかき氷だと私は今でも思っているくらいに、おいしい。
イチゴ、レモン、ミゾレ、宇治金時
どれを頼んでも、くろだのおばちゃんが煮込んだ特性シロップが
たっぷりと真っ白のふわふわのかき氷にかかって登場する。
金時のあんこも、抹茶も、おばちゃんが煮込んだ世界一!
お盆の時期には、灯籠流しをした。
従兄弟と一緒に手作りの灯籠を作って、ろうそくを立てて、川に流す。
たくさんの灯籠があったかい光を灯しながら、ゆらゆらと流れていく。
忘れられないのは、小学生だったいつかの年に作った灯籠の背が高すぎて
橋のところで引っかかってつぶれてしまったこと。
すごく切なかったのを忘れられない。
おじいちゃんちには、私の家族と、母の姉、弟家族が集まるから、とってもにぎやかになる。
夕食はみんなで分担して作って大宴会になったり、近くの食事屋さんに全員で行ったり
おじいちゃんが孫だけを連れて回転寿司に連れて行ってくれたりした。
おじいちゃんの家、家の周り、出雲の街を今でも鮮明に覚えている。
夏にしか行ったことがないから、出雲はいつも力強い太陽と青い空、夏の出雲で、
おじいちゃんは白い涼しげなワイシャツ姿。
海老名から出雲まで、車でドライブして来た私たちが帰っていくときには、
毎年同じように、おじいちゃんは家の外まで出て、にこにこと手を振り続けてくれた。
その瞬間が、年を重ねるごとに寂しさを増していったのを覚えている。
いつかこんな日が来なくなる、ということを、年を重ねるごとにわかっていったのだと思う。
大人になるにつれて、毎年の夏を出雲に長期で行くことが減っていった。
高校生になったら、出雲に行くよりも、地元の友達と遊んでいたかった。
高校2年生になったら、アメリカに留学をして、出雲に行かなかった。
おじいちゃんと手紙のやりとりをしたのは、その年が初めてだった。
心配しているおじいちゃんに、手紙を書くと、何度も返事が返ってきた。
それまで、おじいちゃんと向き合って真面目に話をしたことがなかったから、手紙で初めて、おじいちゃんとちゃんと話をした気がした。
そして23歳になった今年の夏。
出雲の夏は遠い思い出になっている。
1年半前におじいちゃんは亡くなった。
おじいちゃんの家も、お醤油工場も、からになった。
それ以来、出雲を訪れる機会はないまま、ウガンダに来てしまった。
母からのメールで、出雲のお家を、取り壊すことになったと告げられた。
私は、ウガンダに来て、日本の夏が恋しくなって、そして思い出されるのは、出雲での夏だった。
もう、過ごすことのできない出雲での夏。
おじいちゃんは、何年も前に、孫全員に
「自分が死んだときに墓参りにくるように」とお金を入れた通帳をくれていた。
ウガンダに来る前に、行けば良かった、と後悔しても遅かった。
最近の私は、出雲に行く暇もない夏ばかりだったけれど、
ウガンダの2年が終わったら、絶対に、おじいちゃんがくれたお金で、出雲に行こう、と心の底から思う。


3月6日


2008年3月27日

結婚30周年を迎える両親に
私がこれから
どこで
何をしていて
どんな人たちと
どんなものを食べて
何を考えて
生きているのかを
届けたいという想いから
ブログをやってみようかと思います。
もちろん
両親だけじゃなくって
おばあちゃん、おじいちゃんや親戚の人たちや
今まで私の人生に出会って関わってきてくれたひとたちや
これから出会うであろうひたとちや
なーんか、そんなひとたちが
たまーに
夏沙は今どこにいるんだい?
夏沙は元気かな?
とか思い出してくれたときにちゃんとメッセージを発信できるようにしたいんだ
今月で
長かった私の学生生活もおしまいです。
学生時代だって あちこち飛び回ってたり なんだかんだいろいろしていた私にとって
これから もう本当に、大好きな今まで育った海老名で生活することはもう 
ほとんどないのかもしれないな
と思うのです
そして私のこれからの人生、 日本にいるかさえわからないと思うのです。
だから ここに書いたら
夏沙元気にやってるわ
と思えるようにしておこ~~と思うのです
とりあえず今はまだ実家で家族と愛犬ひっぽと
大切なものに囲まれて生活をしています
大切なもの本当に大切にできるような毎日を送りたいと思います。