シゲルとサチコ、そしてアフリカの子どもたち!

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タンザニアの小学校で、
日本のテレビ局の人が、
画用紙とクレヨンを渡して
「何か動物の絵を描いて。」と、頼んだ。
子どもたちは、初めて手にした
大きな真っ白な画用紙を前にして
とどまっているようだった。
一時間くらいして、先生が
「描けましたけど」といった。
子どもたちは、手に手に
画用紙を高くあげて、
私に見せようとした。
私は、その絵を次々に見て
息を呑んでしまった。
動物を書いた子は、たった二人。
それも一人の男の子が
画用紙の隅にハエを一匹。
もう一人の男の子は
単純な日本の細い足をした鳥を一羽。
たった、それだけだった。
ほかの子は、バケツとか、お茶碗とかを描いた。
アフリカの子どもなら
あざやかな象やキリンや縞馬を描くだろう、と
私たちは想像していた。
でも、アフリカでも、動物がいるのは、
ほんの一部の保護地区だけ。
そのあたりの子なら、動物のことを
知っているかもしれない。
でも、ほとんどの子どもは、
動物園もなく、テレビもなく、
絵本だってないのだから、
アフリカに住んでいるのに
知らないのだと、私は知った。
アフリカから、こんなに遠いのに、
日本の子どもたちは、みんな象を描ける。
縞馬が、どんな動物だか、知っている。
でも、あの子どもたちは、一生、
アフリカの動物のことを知らずに
死んでいくのだろうか。
アフリカは、私の憧れの国だった。
アフリカのイメージは、
沈む太陽を背にしたキリンだった。
私は、まだ、アフリカで動物を見ていない。
私が行く所、子どもが
助けを必要としているところには
水もなく、緑も少ない。内戦もある。
動物が生きていけるような所はない。
人間が生きていけないのだから。
日本も戦争中、
食べ物がなくなって
動物園の動物は、
みんな殺された。
象だって、芸を見せれば
食べ物がもらえるかと
芸をしながら死んでいった。
豊かで、平和でなければ、
像は見られないのだ、と
日本の子どもたちに知ってもらいたい、
心から、そう思った。

([トットちゃんとトットちゃんたち] 黒柳哲子 2001年 より)

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私の両親は、今始めてのアフリカ旅行でウガンダに来ています。
来て、はじめに、国立公園に行きました。
象やライオンを見るために。

泊まったホテルからは
アフリカのサバンナを見下ろす広大な景色が広がる。

地平線はサバンナで
そこにアフリカの動物たちが暮らす。
そして優雅にビールを飲む父と母。

初めてのアフリカにはぴったりの、最高の景色を見せてあげられて
私も嬉しかった。


夏沙のブログ-3gatu1
  

こーんな景色、アフリカ!ってかんじでしょう!

この写真は、向こうで雨が降っているの。

国立公園。といっても
ライオンに出会えることは珍しい。

私は、ピースボートで行ったケニアの国立公園でも、去年行ったウガンダの国立公園でも
ライオンには出会えなくて
今回も、公園内をライオン探してぐるぐるしてもなかなかいない。
もうだめかなぁと諦めかけてたとき。

夏沙のブログ-3gatu3

こーーんなにすぐそばで
木の上でお昼寝中の2匹のライオンさんに出会えた。
これには感激。

やっぱり、アフリカの国立公園といったら
百獣の王、ライオン!
ボートサファリもして、チンパンジートレッキングもして
ホテルに帰れば、広大な景色を見下ろしながらのおいしい夕食が待っている。
贅沢でしょう!

そして国立公園から帰ってきて、
昨日までの一週間、任地のカムリに来てくれた。

ここでは、観光の国立公園とは別世界。
ディープ・アフリカ。

カムリで一番のホテルでさえも、いろんなところが壊れていたり
暑いしローカルすぎるし
食事はもちろん、完全ウガンダ料理で
さすがの両親もディープアフリカ体験は少しお疲れでした。

私の通っている小学校や、村を一緒に訪問。


夏沙のブログ-3gatu5


小学校の子どもたちに
母、感激の涙!

子どもたちはね すっごくね、かわいいんだ。
みんな裸足で、ぼろぼろの服きて、貧しいけど
子どもは子ども。

走り回って転んで泣いて笑って喧嘩して。
給食のポレッジ(トウモロコシのおかゆ)の粉がもうなくて
給食食べてなかったから、両親が粉を買ってくれた。

それで次の日はみんなで給食。


夏沙のブログ-3gatu6

最近の私の唯一の癒しは、ここの子どもたちなんだ。
ひとりひとりの個性が愛らしくて
かわいくて。

でもね、思う。

私は、世界中自分の足で見て勉強できる自由を持っていて
両親はウガンダまで来てくれて
一緒にライオンを見て感動して。

ここの子どもたちは本当にかわいい。
みんな、幸せになってほしい。
でも、どう考えても私が今持っている「先進国の豊かさ」を
ここの子どもたちが手にすることは
不可能に近いものがある。

この子たちが、
象やキリンやライオンを見ることなんて、一生ないのかもしれない。

ここの子どもたちが不幸だといいたいわけじゃない。

水くみが大変で
電気がなくて
お金もあんまりなくて
仕事もなかったり

それでも
ここの人たちは、それなりに幸せそうで笑って生活をしているし
だから簡単に何が幸せかということは言えないけれど

世界中には
ものすごい格差があって
私や、日本に生まれた私の友達たちが
どれだけ豊かなんだろうということ。

私の両親が、カムリでの最後の夜に言っていた。

「アフリカっていう気がしなくなってきたよ」

そう、それなんだ。
アフリカは特に、私たちが持っているイメージには特別なものがある。

貧困、サバンナ、黒人、動物・・・

でも、来て見たらわかる。
すんでみたらわかる。
なーんにも変わんない。

ただの、地球の一部分。

それでも
同じはずなのに
どうして私たちは、クーラーがあって冷蔵庫があって
蛇口があって流しがあってキッチンがあって
お金があって自由があるんだろう
アフリカは遠い。

それは、距離もだけれど
心の距離も遠いんだ。

だから
今回、両親がアフリカまで来てくれて
私の生活や、私とかかわっているウガンダ人の生活を
直接見て体験してくれたこと。
すごく嬉しいことだ。

そして両親とアフリカの心の距離は、確実に縮まっている。

今日からはまたカムリを離れて
今度はウガンダの東を少し回ります。


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