今日こそが人生。




「いちにち」
というのは、あっけないようで、何事もないようで、
それでもひとの人生を形成している一部であって、
そのことを忘れてしまいそうになるような日常を送った事があるから
だから「いちにち」の時間のことを考える時間をなるべく作ろうと思いながらいる。

「Today is my life!」

完成したカフェの名前の後ろについているこの言葉。
沖縄で1年という時間を過ごしていた大学3年生の頃。

桜坂劇場というセンスのいい映画館に併設されている本屋さんで買った、
本というよりは雑誌に近い、冊子のような・・・・

この言葉が自分の心の中に入って来てから
また何か新しい生き方に近づいたようなそんな素敵な感情が緩やかに入って来た。

「今日こそが人生!」

と、訳す。

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怖いのかもしれない、とも、思う。
失う事を怖いと思う気持ちがどこかにあるからこそ、今日という一日の時間について考えるのかもしれない。
今流れているこの音楽も、そんな想いでいると体の芯まで染み渡ってくる。
別に、大切な誰かが死んだわけではないし、重大な事件を引きずって生きている訳でもない。

経験というのは、想像力を身につける。

世界中で体験して来た事、身近な価値観とのぶつかり合い、
全てにおける経験というのは、その先の想像力に繋がる。

そう、思うし、そう体感しながらいる。

想像力が豊かになればなるほど、
大切なものが増えれば増えるほど、
失う怖さと隣り合わせになりがちになるのかもしれない。

発信したり、何かを表現したり、空間を作り上げたり、
そういう生き方をしていると、「評価」されることもある。

中学生の頃、ひとりひとりの人間を1〜10の数字で点数を付けて順位を付けていく
その社会のあり方に対して違和感を覚えていた。

数字で人を見たり、表面的な見方だけで評価をされながら
日本にいる「人」は生きながら、そんな価値観を身につけられる。

学生を卒業したって、この社会の中には、そんな現実ばかりで
ネットの中にだって、物事を評価することに特化したサイトだってたくさん。

「評価」すること、それをアイデンティティとしているひとすら、いる。

相手が求めているものと、発信しているものが違うときは、
「違う」ということをそれぞれが認め合えばいい。

それを評価し合って相手を傷つけることはしなければいい。

そう思う。

生き方や社会のあり方やそれぞれのセンスや、持ち合わせているものとのぶつかり合い

一体どこへ向かおうとも

ただ、今日という一日が、ひとりひとりの人生を形成している重要な一日であることは間違いない。

失敗したら学べばいい。
まだまだ不十分なら、1年でも2年でもかけて、納得のいく方向をめざせばいい。

なんにしたって、今日という一日は、私の人生なんだから。

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