雨をあつめて生活を!

読んでくれているありがたい皆様。
遅くなりました更新しまーす!

オルヤ

にじ

 

あのね、アフリカって言ってもね意外と私の家のすぐそばにネットカフェがあって
停電してなければ私は毎日ネットできる環境にいるわけなんです。
だからかなりの頻度でメールチェックとかしてるんです。

でも、ブログ書くのは、書きたい!!って思ったときに慎重に書いてる。
ネット上に公開するわけだから、
ミクシー日記じゃなくてこっちにしたのは、両親や親戚にも読んでもらいたいという思いだから、
だれでも見れちゃうわけだから、
だからさ下手にネガティブなことや強烈なことはかかないわけ!!

と思ってると、更新するのが遅くなるんです。
別にネガティブになってる訳じゃないけどね。

両親が兄にブログ更新しなさいってよく言ってたから
きっと私のブログ更新も待っているかなと思って、そして電話でやっぱりお母さん。
「ブログ更新まだ?」笑

だから今回は、特に、ネタはないんです。
前回のストリートチルドレンの事を書いたときには
たくさんの人からメッセージや感想をもらって嬉しかった。
でも今回は、たわいもないことを書かせてください。
思いついたままに。

今、雨期だそうで。

でもウガンダの雨は、日本のシトシトじめじめじゃなくて、
ぶゎぁぁぁあああ!!!!っと、スコールみたいにふって、すぐに青空を見せる。
それか、夜ふって、明るくなるとちゃんと青空になる。

私の部屋の屋根は、トタン屋根で、天井がない!
だから、雨の音がダイレクト。
スコール来れば、雨に体たたきつけられているような音が!
それが夜中なら最悪。音で目が覚めて、耳栓して寝直す。
「停電・大雨・夜」の組み合わせは最悪。
すごくブルー。

それでも最近は雨をあつめて生活をしているから、雨が嬉しい。

風をあつめて~♪って曲ばりに、雨が降ると
「雨をあつめて~♪」って歌いながら、桶を外に出す!

あめをあつめて

それで集めた水で洗濯も料理もなんでもしちゃいます。

ご近所のみんながやってるのを見て
最初は雨水使うのとちょっとやだ・・・と思ってたけど、もう慣れた。

逆に、水くみに行く手間が省けるから雨よふれ!

そう。発のアフリカ病!

「すなのみ」ってゆーのが、右の足の中指のとこに入ったのです砂から入ってくる虫??
なんだかよくわかんないんだけど、指が腫れてきて、
何だろうと思ったら「すなのみじゃない!?」って言われ、
そこを切って中に産み付けられたたまご?を出してもらったのです。

気持ち悪いでしょ!?
きもちわるい。。

アフリカには砂にも敵が潜んでいるのです!
水辺に行けば、住血吸虫!
暗くなればマラリア!とね♪
(なんて・・・実はけっこう安全なのでご心配なく。)

120歳のおばああちゃんに出会いました。
「120ってほんとかな??」と思ったけど、ほんとっぽいんです。
しかも120歳でまだ畑仕事してる。
ウガンダの偏った食事でも120歳まで元気に生きられるのならば
私が2年間マトケとポショばっかりな生活でもきっと大丈夫なんだろうなと思ったのでした。

お母さんが電話で
日本ではバナナダイエットがはやってるって言ってて
バナナを一本朝食べるだけでやせまーすなんてあっほらし~い

バナナだってエクアドルとかフィリピンとか遠い海の向こうから
わざわざ運んできた 黄色いきれいなバナナを
テレビの影響で日本中がすぐに買いあさる日本を懐かしく思うよ。

そして2年前にルームシェアしてた友達と、
当時話題の納豆ダイエットを一緒に試みようとしていた自分が懐かしい。笑

両親が私の日本情報源。
従姉妹が大学に受かった!とか
従兄弟が先生の試験に受かった!とか。良い知らせも!!
おめでとう!!!

あとはーあとわー

そう、ご近所でデンマーク人の友達が出来た!!
2人の女の子で、レッドクロスに4ヶ月来てる。
ムズング(外人)同士、仲良くなってよく一緒にご飯作って夜をすごしたりしてる。

意外と、この町にムズングいるんです。
それでも、2年も住むムズングは珍しいみたい。
長いようで短いんだろうけどながいぜ2ねん。

でんまーくのふたり

私、タイ料理が好きで。
で、日本のジャワカレーじゃなくて、タイのグリーンカレーペーストをもってきてた。
それはそれはおいしく作れたんだけど、やっぱり、日本のカレーが恋しくなった!
あ~もってくればよかったぁと思ってそしたら、帰国する隊員の人が、くれた!
使いかけであいてたからむしがたまごうんでたけど、無問題!

おいしくカレーを久しぶりに食べました。
(あ、虫のところはちゃんと取ってから使ったよ!)

ウガンダ遊びに来るときはかれーもってきてください!

それから。あーそう。
この間はカンパラで先輩隊員の送別会があり、
その後久しぶりにオールで夜遊び!オールという言葉がなつかし!
楽しいこと楽しいこと。

やっぱり海外での生活では日本人同士の時間はすごく息抜きになるんだ。
笑いのツボとか、微妙なニュアンスが伝わるこの快感!

それにしてもウガンダは安全な国だ。
隣のケニアじゃ夜間外出は超危険とか。

あと!先週!
向かいに住むハリエットの赤ちゃんが産まれたの!!!!
男の子でした。

ハリエットファミリー

ハリエットは、英語がしゃべれない。
だからまともな会話をしたことがないけど毎日一緒に暮らしている大切な存在。
ウガンダの主食のバナナのむきかたも教えてくれたし
現地語のルソガもハリエットが単語単語教えてくれる。

夜中にハリエットと旦那の夫婦げんかの仲裁に入ったことも!(シリアス!)笑
そんなハリエットの目は、とっても澄んでいてなにかすごく私にとって魅力を感じる女性なんだ
だからねハリエットの赤ちゃんが産まれて、すっごくうれしい。

私が帰る頃にはきっとしゃべれるようになるのかな?
外人顔に、違和感を持たない子どもに育ってくれるはず!
とか、成長を見れるのがすごく楽しみなんだ。

あかちゃん

あとはーーない!ね!
そんなかんじで、今週はもうすぐ金曜日にリーバイ氏がウガンダにやってきます。

levi

エンテベ空港までお向かえに行きます♪
これについてはまた次回ゆっくり書くことにします

levinatsa

そんなかんじかな!!
ウガンダは、というか、ここは、幸せで平和なところです。
本当に。


大使公邸とストリートチルドレン

出会いは偶然で必然。

「出会い」が持つべき意味を変えられるのは自分でしかない。

先週末、首都カンパラに行っていた。
ウガンダ国内でカンパラは特別だ。
カンパラにしかないものが溢れている。

日本でも、海外でも、
甘いものとおいしいコーヒーが出てくる
お気に入りのカフェでまったり過ごす時間が好きだった。

ウガンダで一番、外国人とお金持ちのウガンダ人が買い物をするモールがある。
そこにあるニューヨークキッチンというカフェでシナモンロールを買った。
甘そうなシナモンロールを苦いコーヒーと一緒に食べられる
居心地の良さそうなカフェを探して
街中を歩いた。

だれかが言っていた、「おいしいコーヒーの出る店」を
暇そうに客待ちをしているタクシードライバーに聞いた。

すると、タクシードライバーは近くにいた中学生くらいの男の子を呼んで
「連れていってあげな」と言い
私はその男の子にカフェまで案内してもらうことになった。

連れて行ってもらったカフェは休みで
男の子は、違うところにも案内してくれたけれど
私はそこを気に入らなかったから入らず、自分でまた街を歩こうと思った。

でも男の子が
「一緒に歩こうよ」「街を案内してあげるよ」
と言ってきた。

少し、ためらった。

理由は、男の子が、裸足だったから。

東南アジアの国で、
裸足のストリートチルドレンに力強い目線で右手を差し出されたことを思い出した。
南米の国で、
スラムに住む裸足の子どもたちと出会ったのを思い出した。
ヨーロッパの国で、
赤ちゃんを抱いて物乞いをしている女性の前を素通りできずに、一緒に座り込んで話をした後
お金をおいていったことを思い出した。
菅野美穂がロシアで、ストリートチルドレンと出会うドキュメンタリー番組を思い出した。
日本の大学の授業で、
「物乞いをしている人に対してどんな態度を取るか」
というディスカッションをしたのを思い出いだした。

人を信じる為に必要ものは何ですか。

相手と過ごした時間の長さ?
出会い方?
相手の家族関係?
相手の性格?

きっとどれもがその要素になる。

だけど私は、そのどれもをすっ飛ばして、
その、裸足の男の子を「信用」した。

だから私とその男の子は、2人でカンパラ市内を4時間くらい歩き回った。

一人で行ったら危ないと言われるカンパラ市内最大の活気溢れるマーケットにも行った。
ひしめき合うマーケットの中で人の手が私の腕を引き留める。
チャイナ!と言いながら中国語のまねをしてくる人。
偽札を両替してくれと迫ってくる人。
そんなマーケットの熱気にもまれている私を見ながら男の子は
「このひとはにほんじんだよ!」
「あれは偽札だよ」
「カバンに気をつけてね」
と、進んでいく。

外国人は足を踏み入れなそうな人々の日常の活気で満ちあふれている
歩いたことのない街を歩いた。
カンパラに、こんな場所があったのかと感動すらするくらいに
私は外国人の行く場所にしか足を伸ばしていなかったことを実感した。

男の子は、裸足のままで街中をぐんぐん歩いていく。

少し歩き疲れた私たちは、ローカルマーケットの中で紅茶を飲んだ。
汚いテーブルに、簡単な長椅子に座って、20円くらいで甘ったるい紅茶が出てきた。
私は、鞄の中にシナモンロールがあるのを思い出して取り出し
男の子と半分に分けて食べた。

おしゃれなカフェで苦いコーヒーと一緒に食べるはずだったシナモンロールを
汚いマーケットの中で甘ったるい紅茶を飲みながら食べた。

甘ったるすぎてあんまりおいしくなかったけれど
なんだか妙に嬉しくなって
汚いマーケットと人々の活気に似合わないシナモンロールを見て笑った。

男の子が教えてくれたのは、

ストリートで寝ていること
両親は死んでいないこと
兄弟もいないこと
学校に行っていないこと
学校に行きたいと思っていること
英語はストリートで習ったこと
小さなものを売りながら毎日街を歩き回っていること・・・

男の子は、自分の友達に会わせるよ、と私を友達がいる場所に連れて行ったり
物乞いをしている人を私に紹介した。
「この人はこわいんだよ。お金をもらえないと石を投げるんだ」
って、私に笑いながら言いながら、年取った物乞いのおばさんに挨拶をする。

「この子たちはグルからきてるんだ」と、裸足の女の子たちを私に紹介する。
グルというのは、ウガンダ北部の街の名前で、つい最近まで内戦をしていて
たくさんの人が亡くなったり
たくさんの子どもたちが誘拐されて子ども兵にされていたところだ。

その影響で
孤児になった子どもたちがストリートチルドレンになってカンパラや大きな街に来ている。
私は日本でウガンダ北部の内戦のことをできる限りの資料を読んで調べていた。

だけど、ウガンダに来たら、私はJICAの下にいるわけで
ウガンダ北部への立ち入りは禁止されている。
安全面の配慮だとは分かるが、北部の、支援が一番必要な地域は、
JICAの対象外で、「ウガンダ」とは別の国のような扱われ方をしている。

だから、男の子がグルから来ている女の子たちを紹介してくれたときに初めて
日本で読んでいた事実がリアルになった気がした。

男の子は、自分が体を洗っている川を見せてくれたり
「実は小さいけど住んでる場所があるんだ」
と言って私を建物の裏の穴蔵みたいなところへ連れて行った。

そこに私が入っていこうとすると
ものすごい勢いで建物のオーナーらしいおじさんが私を呼んだ。

「何をしてる!そこに入っては行けない!私はこの子たちが家の裏に住んでいることを許してはいるが、君がそこに入っていくことがどれだけ危ないことだか分かってるのか!!!」

「君は、その子のことを、どれだけ信用してるんだ!!!?」

と、すごい剣幕で私に怒鳴りつけてきた。
これはまずい、と思い、とりあえずおじさんを静めるために
ごめんなさいね、何も知らなかったの。
と、おじさんの手を握り、笑顔をキープした。

ものすごい勢いのおじさんも、
私の笑顔作戦に負けたらしく、だんだんと和やかな口調になってきたところで
今度は褒めちぎり作戦。
おじさんをほめまくった。
するとおじさん、
和やかモードから今度は「電話番号教えて」と。おい!!笑

まぁとにかく、おじさんは私の安全のために怒ってくれたので感謝して、
そして素直に私も少し反省して、
心配している男の子にごめんね、大丈夫だよ!と言って
男の子の小さなお家の前を後にした。

おじさんが言った
「一体どれだけこの子を信用してるんだ」という言葉が頭に残っていた。

私は、出会って3~4時間のストリーチチルドレンの男の子をそのとき、
友達だと思って、信用していた。

でも、端から見れば私は「ストリートチルドレンに騙されそうな外人」
でしかなかったのかもしれないし

誰にこの話をしても「そんな子について行って大丈夫だったの?」
って言われるかもしれないと思った。

それでも私がその男の子と過ごした時間は
ただ楽しかったし
その子がストリートチルドレンという肩書きを背負っていると言うこと以外は
私にとって何も問題はなかった。

暗くなった大通りで、ここに座ろうと男の子が言った。
見上げると、カンパラで唯一の、街頭テレビ。
なんて言うんだっけ。
ビルの上に付いている宣伝のためのテレビ。
エアーウガンダのCMが流れてきて

男の子は、CMの全ての台詞に自分の声を合わせた。
暗記していた。
暇なときはここに座ってじーっとこのテレビをみているんだろうな、と思った。

夜ご飯を一緒に食べて
私は帰った。

また会いたいと思ったけれど
ストリートチルドレンの男の子とどうやったらまた会えるのか分からなかった。

男の子は、一度も私に、モノやお金をちょうだいと言ってこなかった。
でも私は、バイバイするときに
いつ会えるかわかんないけど、一応電話番号教えてあげる
と言って、電話代にしては高すぎるお金を電話代ね、って渡した。

男の子は嬉しそうに「でんわするよ!」と言った。

私がバスに乗ると、男の子は走って街中に消えていった。

バスの中で、たった今あった出来事が夢だったかのように
今までの現実とはかけ離れていたことでなぜかそわそわした。

JICAのドミトリーに戻ると、日本人の同じ隊員仲間が、変わらずわいわいと過ごしていた。
今回私がカンパラに来たのは、
日本大使公邸にてディナーパーティーと、隊員総会があったからだった。

大使公邸って、ウガンダで生活している私には意味がわからないほどに豪邸だった。

私はたったの2日間で
大使公邸とストリートチルドレンと全くの別世界を過ごした。

大使公邸のパーティーにはウガンダのエライ人も来ていた。
JICAスタッフは、私たち隊員に、「あの人はエライから話しかけなさい」だとか
そんなことを言ってきた。

大使館の人は私がパパイアをお皿一杯に盛っているのを見て
「君、そんなに盛って他の人のことを考えていないんじゃない?」
と冷たく言ってきた。
「こんなに一人じゃ食べ切れません、同じテーブルみんなの分です」
と、心を込めて返した。

人を信じる事って、理屈じゃないと思う。

大使館の人だから信じる、ストリートチルドレンだから信じない
とかそんなんじゃない。

人間として、心のある人を、信じ続けていきたいし
心ある人との出会いを大切にしていきたい。
上辺だけの出会いはつまらなくて退屈だ。
心ある出会いは、お互いの心をもっと豊かにする。

ストリートチルドレンの男の子とはもう会えないかもしれないけれど
心暖まる大切な出会いだった。

そんな事を想った2つの世界のカンパラ滞在だった。

そしてまた
居心地の悪いバスに乗って任地に帰っていったのでした。

street children


日本の夏を想う2

私にとって、夏と言ったら、おじいちゃんが住んでいた出雲での思い出が大きい。
子どもだった頃は毎年夏休みになると長期で出雲に親戚が集まって
おじいちゃんを囲んだ楽しい夏休みを過ごした。
出雲は母の生まれ故郷で、
私が2歳の時になくなった祖母に残されたおじいちゃんが一人でお醤油とお味噌工場を経営していた。
おじいちゃんの家に着いたときの、お味噌とお醤油の臭いは今でも思い出せる。
出雲の田んぼは、私の心の中にいつまでも日本の夏として残るきれいで忘れられない風景。
青々と育った田んぼの向こう側に、黄色い2両の一畑電車がのんびりと走る。
家と畑と青空が、日本の夏の風景を作り出す。
日本海の海は、きれいだった。
素潜りの得意だった兄と、海の生物に詳しくて海の遊びを知っていた父について
私も一緒にサザエや魚を捕って楽しんだ。
海から帰ると、直行するのが、おじいちゃんちのすぐそばにある「くろだ」というかき氷屋さん。
まさに世界で一番おいしいかき氷だと私は今でも思っているくらいに、おいしい。
イチゴ、レモン、ミゾレ、宇治金時
どれを頼んでも、くろだのおばちゃんが煮込んだ特性シロップが
たっぷりと真っ白のふわふわのかき氷にかかって登場する。
金時のあんこも、抹茶も、おばちゃんが煮込んだ世界一!
お盆の時期には、灯籠流しをした。
従兄弟と一緒に手作りの灯籠を作って、ろうそくを立てて、川に流す。
たくさんの灯籠があったかい光を灯しながら、ゆらゆらと流れていく。
忘れられないのは、小学生だったいつかの年に作った灯籠の背が高すぎて
橋のところで引っかかってつぶれてしまったこと。
すごく切なかったのを忘れられない。
おじいちゃんちには、私の家族と、母の姉、弟家族が集まるから、とってもにぎやかになる。
夕食はみんなで分担して作って大宴会になったり、近くの食事屋さんに全員で行ったり
おじいちゃんが孫だけを連れて回転寿司に連れて行ってくれたりした。
おじいちゃんの家、家の周り、出雲の街を今でも鮮明に覚えている。
夏にしか行ったことがないから、出雲はいつも力強い太陽と青い空、夏の出雲で、
おじいちゃんは白い涼しげなワイシャツ姿。
海老名から出雲まで、車でドライブして来た私たちが帰っていくときには、
毎年同じように、おじいちゃんは家の外まで出て、にこにこと手を振り続けてくれた。
その瞬間が、年を重ねるごとに寂しさを増していったのを覚えている。
いつかこんな日が来なくなる、ということを、年を重ねるごとにわかっていったのだと思う。
大人になるにつれて、毎年の夏を出雲に長期で行くことが減っていった。
高校生になったら、出雲に行くよりも、地元の友達と遊んでいたかった。
高校2年生になったら、アメリカに留学をして、出雲に行かなかった。
おじいちゃんと手紙のやりとりをしたのは、その年が初めてだった。
心配しているおじいちゃんに、手紙を書くと、何度も返事が返ってきた。
それまで、おじいちゃんと向き合って真面目に話をしたことがなかったから、手紙で初めて、おじいちゃんとちゃんと話をした気がした。
そして23歳になった今年の夏。
出雲の夏は遠い思い出になっている。
1年半前におじいちゃんは亡くなった。
おじいちゃんの家も、お醤油工場も、からになった。
それ以来、出雲を訪れる機会はないまま、ウガンダに来てしまった。
母からのメールで、出雲のお家を、取り壊すことになったと告げられた。
私は、ウガンダに来て、日本の夏が恋しくなって、そして思い出されるのは、出雲での夏だった。
もう、過ごすことのできない出雲での夏。
おじいちゃんは、何年も前に、孫全員に
「自分が死んだときに墓参りにくるように」とお金を入れた通帳をくれていた。
ウガンダに来る前に、行けば良かった、と後悔しても遅かった。
最近の私は、出雲に行く暇もない夏ばかりだったけれど、
ウガンダの2年が終わったら、絶対に、おじいちゃんがくれたお金で、出雲に行こう、と心の底から思う。


ウガンダ生活!NGO編

そうそう、私は今、「青年海外協力隊」なんですね!

「協力隊」なんて名前は、なんて気持ち悪い名前なんだろう!
と思いながら、一年前に合格通知をもらって、
悩んだあげくに、第一希望でそれしか受けなかった会社に内定承諾書まで出してたのを断って、「協力隊」に行きます!って言ってしまったのでした。

青年海外協力隊。なんたって、「隊」ってのがあやしい。
わざわざ広辞苑で「隊」を調べると、
①共同の行動を取るために組織された集団。
②兵士の組織の一単位。
③律令制の集団で兵士50人から成る部隊。

だって。
やっぱり、あやしいと思った。

「協力隊員」になった今でも、やっぱりなんかいやだ!

とか言いながらも、「隊員」って普通に使う仲間に囲まれてると、
なんだか違和感は薄れてきて、自分協力隊でーす、みたいな感じになってきたが・・・(笑)

そう、話を戻します。
で、私は、ほとんど、就職する気だった。「就職」したかった。
協力隊受けたのは、本当に受かったら考えればいいかという軽い気持ちだった。

でも、2年間アフリカ、という選択肢が増えてしまった時に私の背中を押したのは
またしてもポジティブすぎる両親でした。
「どうせ就職したって2年くらいで辞めるんだから、ウガンダ行きなさいよ」と母。
「就職しても1年くらいでやめるんでしょ、ウガンダなんて楽しそうじゃん」と父。

父・母、2人とも同じ事を言うので、「だよね~!」と思ってウガンダ行きを決めたのでした。
そして今、気持ち悪い名前だなぁ!と思っていた「協力隊員」としてウガンダにいるのです。
・・・・(笑)

応募するときに、要請書を見ながら第三希望までかけるんだけど、
わたしは
①地域NGO ②新規要請 ③英語圏 という条件でウガンダを第一希望にした。

ちなみに第2希望、第3希望、は、ペルー・ニカラグア。

そしてラッキーなことに、ウガンダ希望者が少なかったのか?第一希望で通ってしまった。

だから、この3つの条件そろって今私は、
ウガンダのカムリという小さな街の(ウガンダにしては小さくはないらしい)
「ルナ」という地域NGOに配属されているのです。

ルナが何をしてるかというと、
大きく言えば「地域開発」なんだけど、けっこう幅広い範囲で活動をしている。
Health Unitがあって、
これは毎週水曜日に村々を回って赤ちゃんやお母さんたちに予防接種をする、というもの。

それから、村々の地域団体とパートナーをくんで、
その村の貧困問題に対して何か活動していく、というかんじ。

だから私の活動は、週2~3でフィールド(村)まで車で行き、そこで地域開発の活動をする。

はずなんだけど、ここはンポランポラ(ゆ~っくり)なウガンダ。
思うように事は進まないのですが。

村に行くと、まさに「一日一ドル以下で生活」してる人たちが待っている。
私の目から見たら貧困すぎて問題ありすぎで何から手をつければいいのか。
と見えてしまうけれど、基本、村の人たちは笑っていて幸せそうには見える。

村には貧困問題がもちろんあるけど、その前にルナにも問題あり。
だって、みんなのんびりしすぎていて、
地域開発なんて言ったってそんなにンポランポラしてたら
一向に地域開発は進まないんじゃ・・・?と一ヶ月見てきて思う。

まず、車があるだけいいんだけど、
その車を大人数で頼っているから、フィールドに行ける回数が少なすぎる。
一日、車を待って終わってしまったり、
やっと車が来たけれど、
出発したのが遅すぎてフィールドに着いたら暗くなってきて何もできなかったり。

先週は、日曜日にディレクターの息子の卒業パーティーが大々的にあって、
その準備のために車が行ったり来たりしていたために、
フィールドに行くと言われていた日は全て行けなかった。

ルナの人たちは、のんびりだけれど
、村のCBOの人たちは、早く来てほしがっているのを知ってる。
2週間も3週間も、一ヶ月も!待たせてる。
でも、無理矢理、日本人の感覚に合わせて時間やプランをきちんと立てて・・
ということもしたくないし、とりあえず今は、私は新米の身なので、
黙って彼らの日常を観察して彼らの日常に合わせているんだけれど、
そろそろ、うずうずしてきた。

村はね、本当に貧困!「貧困とは」という定義を語るのは置いておいて、
とりあえず、私が行くフィールドの様子を紹介します。

カソルウェ

これは、カソルウェという村のCBOを訪れたとき。

孤児、障害児・者、未亡人、PLWHA(HIV陽性者)を地域で支援している団体。
ルナの車が着いたのは予定時刻よりもかなり遅かったにもかかわらず、
CBOがターゲットにしている人たちが集まって、みんな待ってくれていた。
私たちがつくなり、女性たちは歓迎の踊りを披露してくれて、
外国人の私が来たことで
「来てくれてありがとう、何か持ってきてくれてありがとう、」
と次々に握手を求められた。

カソルウェの村をまわって、彼らの住む家々を訪問していくと、
日本で先進国ライフを知っている私から見たら天と地のような家や生活と出会う。

村

私の住んでいるところでさえも、
日本のイマドキな同世代の子たちは3日間で嫌になって日本に帰っちゃうかもなって思うから、
この村での生活はまさか想像もつかないだろう、と、
「イマドキ」からは遠く離れた私はしみじみと思う。

電気・水道がないのは当たり前。
子どもたちはぼろぼろの服を着て裸足で走り回ってる。
裸ん坊で泥まみれの子どもも元気に手を振ってくる。

こどもたち

(左の子どもは、頭の腫瘍がどんどん大きくなっていくけれど病院に行くことができずにいる。)

widouのおばあちゃん

未亡人の女性。
家に入れてもらうと、ベットもなくて、ただのマットの上に一人で暮らす。家の中の環境はかなりひどい。

おばあちゃんの家

障害児を2児抱える家族。

disability

家の中に入ると、上半身裸のままの19歳の障害を持つ女の子が、地べたに座り込んでいた。家族はただ彼女がいて、何もできないというかんじ。

目の見えないおじちゃん

盲目の男性は、子どもを学校に通わせるお金がないから支援してくれと言ってきた。

キャッサバ

PLWHAを含むダンスグループも、私たちを歓迎して
、一人では絶対に料理もしきれないほどのずっしり重いキャッサバをプレゼントしてくれた。
このダンスグループは、HIV/AIDSを予防するためのダンスや劇を作って地域で活動している。

Health unitで村を訪れると、お母さんたちが子どもを連れて集まってくる。
その子どもたちに、ポリオややらの予防接種を施していく。
日本で予防接種というと、清潔な場所で、腕を消毒されて・・というイメージだけれど、
こでは、めちゃくちゃテキトウ!!!
木の下で、消毒もなしに赤ちゃんたちにブスブスと注射を打っていく。

ヘルスユニット

注射針深く刺しすぎじゃない・・・?
うわぁお、めっちゃ血出てるけど・・・
医療廃棄物を下に投げ散らかしていいのか・・・?
(一応注射器だけははちゃんと箱に入れていく。)
>医療現場に関わったことのない私がヘルプしてていいのか・・・??
・・・と、疑問だらけ。

でも、この村々では、ルナのヘルスユニットだけが今のところ、予防注射に来てくれるチャンス。

道も悪くて、雨が降ったら行けないような場所にある村だから
今まで予防注射なんて一度もしたことのなかった子どもたちもいる。

そして、まさにポリオにかかった女の子が、
予防注射で集まっている人から少し離れた地べたで呆然と座り込んでいたりする現実。

毎週水曜日は行くはずだけれど、
いまのところ、50%の確率で、行ってもワクチンがなく引き返す、という状況。

そこで私が学んだのは、一緒に行くスタッフに、行く前に
「今日使えるワクチンあるか、村のドクターに電話した?」
って聞けばいい!という単純なこと。

時代が違うような街の風景に似合わず、
かなりの人がコンパクトなケータイをもって街中でいじっているというのに
(カラーとかいいの使っている人も。)便利な携帯を便利に使えていない。
1時間も離れた村に、でこぼこ道を車にゆっさゆっさと揺られながら行くんだから、
行く前に連絡しようよ・・・とね。

そんなこんなで、アフリカンタイムにいらいらさせられることもありながら、
すこーしずつだけれど、このNGOをわかってきた、という段階かなまだ。
こっちの時間の流れだと、日本のように思うように事が進まないけれど、
それも勉強!とおもってやっていこうと思います。

ではでは、おしまい!


ウガンダ生活!日常編

私のここでの生活をイメージできるように写真をいっぱいのっけます♪
まずはお家。
家の様子が見たい!との要望にお応えします★
じゃん!

おうち

長屋の一室なので、ご近所さんが3人一緒に住んでいます
配属先のNGOの事務所の裏なので、関係者が住んでる。

ハリエット

ハリエット
(私のNGOのドライバーの第三婦人。来月おなかの赤ちゃんが生まれる予定)

ヘレン

ヘレン
(NGOの秘書さん。お世話になってます。)
ドロシー
ドロシー
(違うNGOで働く彼女のお部屋にはテレビがあります)

停電の日のお部屋はこんな感じ。

キャンドルナイト

停電のよるはキャンドルのオレンジの明かりがとってもいい雰囲気になるの
だから停電もけっこう好き。

青空シャワーはここ。

ベイジンクルーム

ゴキブリボットン初公開★

トイレ

毎日の食事も見せたいところだけど、
写真に収めるのを忘れてたので、バナナはまた次回!

街に出るとこんな景色がひろがりまーす
でーーん!

カムリタウン

牛も鶏も山羊もみーんなの~んびり歩いてます。
隣の靴屋さんのポールと彼の娘。
入れ物を持って行くと冷たい飲み水も売ってくれる。

ポールの靴屋
チャパティ

道ばたのありがたい屋台。
アジアみたいになんでも有る訳じゃなくて、チャパティとかバナナとかくらい。
このチャパティーに、卵を焼いたのを巻いた「ロレックス」(roll eggs)には
かなりの頻度でお世話になってる。

マーケット

マーケットに行くと、みんなムズング(白人)!チャイナ!と言ってきます。
現地語で挨拶をすると、爆笑してくれます。

チャイナ!といわれると「ムジャパーニ!(日本人!)」と即答します。

ムズング!

ムズング!!

子どもたちはみーんな、私を見ると「ムズング、バァイ!!」って叫んでくる。
みんなキラキラ笑顔!
でもたまに返事するのがめんどくさいくらいにムズング!って呼ばれてめんどい。笑

ローカルマーケットの他に、インド人経営のスーパーマーケットには結構なんでもある。
インド人にはナマステ!ダンニャワード!ってあいさつして仲良くなる!
「ウガンダ料理に早速疲れてきたから、インド料理食べさせて」
って言うと快く明日来なさい!って言ってくれるんだ

こーんな日常!
e-mailで写真を送るのがめんどかったので、ここに一気にアップでスミマセン!
また写真たくさんのせまーす!