カテゴリー別アーカイブ: 【青年海外協力隊ウガンダ日記】

両親が来てます

お久しぶりです。
ブログ更新したいと思いながらも
忙しかったりネット環境悪かったりです。
とりあえず
ヒッポの面倒を1ヶ月も見てくださってる
盛岡家の皆様、感謝しています。ありがとうございます。
手紙やらお土産をくれた吉川家の皆様、おかべ(岡田家)の皆様
そして兄、親戚の皆様!
ありがとう!!
というのは・・・・・
今、両親がウガンダに来ています。
一ヶ月のウガンダ旅行です。
国立公園やカンパラで一週間すごして
今は任地のカムリです。
カムリの暑さ、クーラーなし、停電、食事など
アフリカ初めての両親にとっては
きっときついと思うけど
ディープアフリカを楽しんでくれているみたいです。
というわけで、
また写真なども載せま~す


今日はいい日だ!

やっと電気が戻った。

長らくの停電生活から開放された。
お茶を飲むための熱湯がすぐにできるという快適さ。
夜、本を読むための快適な明るさ。

電気がないと、いっぱいのお茶を入れるために15分かかる。
パラフィン(灯油)ストーブのしんにひとつひとつマッチで火をつけて
その火がいいかんじになってお湯が沸くまでに約15分。

夜はキャンドルとランプに灯をともして
なるべく早く寝てしまう。

だけれど
ここでの生活は、電気があったとしてもなかったとしても
それほど変わらない気もするし、
むしろ電気がないほうが、あったかいキャンドルライトに包まれて
心地よかったりもする。

今日は朝、30秒で作ったお湯でミルクティーを飲んで
最近通っている小学校へ。

夏沙のブログ-gakkou3

ここの先生であるウィリアムは
とっても穏やかで優しさが体中から滲み出している
みんなのお父さん的先生。

ウィリアムによると、先生は他に3人いるらしいけど
今日もまた、ウィリアム先生だけだ。

ウィリアムが低学年、私が高学年を教える。
この学校は、みんながみんな、穏やかすぎる。

授業の質や先生や生徒のレベルがどうとか、そんなのはどうでもいい。
ただ、子どもが「教育」という場に通えること、
誰か「先生」がいて、周りに仲間がいること。
それだけでみんな十分に幸せそうで楽しそうだ。

でもだからこそ、私が「教育レベル」と口に出してしまえば
それはかなり低くて、他の小学校の子どもたちが理解できる簡単な英語すら理解しない子ばかりで
現地語が苦手な私にとっては
教えるためのレベルは高い。

一番上のクラスに、障害を持つ男の子がいる。
本当だったらもう中学生の年の子だ。
黒板に書いた問題を子たちは私のところに持ってくるが
彼だけはどう見ても訳せない暗号のような文章を書いていて
私は彼のノートにも周りのみんなと同じようにマルをつける。

周りの子どもたちは、彼を一切特別扱いはしない。
ただ彼の状況を皆子どもながらにちゃんとわかっていて、
彼が何か困っているときはちゃんと助けてあげる。

ランチは
とうもろこしの粉を溶かしたドロドロ飲み物。
おかゆのようなイメージ。

私のご近所さんは、毎朝、そのもう少し濃いドロドロにお砂糖を入れて飲んでいて
たまに私にも持ってきてくれるが、
ここのランチは砂糖もないから、
味のない、ただのドロドロ。

マンゴーの木下で、大きな鍋でぐつぐつ煮込んだそれを
一番上のクラスの男の子が、それぞれのコップに注いでいく。

夏沙のブログ-GAKKOU2

子どもたちは、マンゴーの木の葉っぱをもぎり
キャッサバの枝とくっ付けて器用に即席スプーンをつくり、
それでドロドロをすすう。

マンゴーの木下にすわってみんなで葉っぱのスプーンを持っている光景がなんともかわいらしい。

夏沙のブログ-gakkou1

午後の授業の始まりと同時に
雷の音が近づいてきた
と思うと、雨と風が教室に入り込んできた。

簡単なつくりのトタン屋根がばたばたと持ち上がったり閉じたりしている。
ドアのない土壁の教室には、砂埃と風と雨が容赦なく入ってくる
「ひなんだ!」
すぐ隣の、立てかけのレンガ造りの家にみんなで逃げ込んだ。

立てかけの家の、窓が一番小さな部屋にみんなで入って
風と雨が去っていくのを待った。
雨と風は数分で去っていき
今日の授業はおしまい。

みんなでウィリアム先生の自転車をおして
それぞれの家に帰っていく。

先に帰っていった、障害を持つ男の子の家の前を通ると
彼のお母さんが出てきて大歓迎をしてくれる。

彼も、こちらを見ながら、嬉しそうにしている。

お母さんはパワフルに、サツマイモの皮をむく手を止めずに話し続ける。
帰り際に、サツマイモを袋いっぱいにくれた。

そこから何件か先の家を訪れる。
迎えてくれた男性は、HIV陽性者。

体は痩せ細っていて立ち上がるのも大変そうだが
力強い握手と明るい会話は、彼のポジティブさを語っていた。
たわいもない会話をして
私はタウンに戻った。

今日はなんだかいい日だな
と思いながら
いつも行く、ミルクティーがおいしいお店に直行すると
今日はタイミングよく
大好きなハーフケーキ(沖縄のサーターアンダギーによく似ている)を
揚げている最中! 揚げたてほどの幸せはない。

やっぱり今日はいい日だ。

マーケットで野菜を買って家に帰る。
何を作ろうかとおもってひらめいたのはカレー!
大事にとっておいた、友達が送ってくれた日本のカレールーで
もらったサツマイモも入れて、夏野菜カレー。

やっぱりやっぱり、今日はいい一日だった。

明日もいいことありますように。

夏沙のブログ-gakkou4

しんじが来た!!

しんじが!!

ウガンダに来てから初の来訪者!

昨日、私は普段通りの平凡な土曜日をすごしていました
2週間ぐらい続いている停電と
水も無くて
たまった洗濯も断念して本を読んでいました

すると
jicaスタッフから電話が。

「今、どこにいますか?」

「今、任地ですけど」

「あのですねー、今、カンパラで、照屋しんじという人に会いまして、
夏沙さんをさがしているらしいんですが・・・・・・」

ぉええええ~~~!!!??

超・ビックリ!!

しんじとは、私が高校3年生を沖縄で過ごしたときに
ピースボートつながりで出会った。

エイサーが上手くて、いつもはほんわか優しそうなしんじだけど
エイサーをしているとかなりかっこいい。(ふだんもかっこいいよ!笑)
熱い心の持ち主で、一緒にカンボジアの地雷廃絶キャンペーンのイベントをやったり
沖縄で一緒にたくさん遊んだ仲間。

そのじんじが、何年も目指していたピースボートについに乗ることが決まったとき
ウガンダで会えたらいいねと話をしていた。

船はちょうど今、大航海中でケニアからタンザニアに入った。
でもしんじからは何の連絡も無かったから
てっきり来ないんだと思ってた。

そしたらあの電話。

超・超・ビックリ!!

そして超嬉しくなって、15分くらいで準備してすぐにカンパラに向かって
しんじと再会!!

で。今から、しんじをつれて任地のカムリに行く所。

また書きます。

夏沙のブログ-sinzi
↑しんじINウガンダ! わーい!


心ないNGOと心あるCBO①

(心ないNGO編)


今までブログを書いてきたけど、生活のことばかり書いて、活動に対しての部分を不透明にしてきたこと。

それを、今日は、書きたい。


私の配属先は、Lunar Community Development Foundation(ルナ地域開発基金)という、

カムリ県では比較的大きな地域NGO。

HIV/AIDSに対する啓蒙活動


これが、ルナの活動。

の、はず。


でも、私が来た7月から、ルナはほとんど活動をしていない。


最初は、応募時に自分で選んだ要請書の内容が頭にあったのだけれど

時間を掛けて、やっと、この団体がどんな団体なのか、理解できた。


ルナは、「ナカソロ一家」で経営・運営している地域開発NGO。

事務所の裏に私は、他の女性スタッフと住んでいる。


そしてややこしいのが、

ルナは学校を経営している。

Lunar International college 。 全くインターナショナルという言葉をどこからもってきたのか、というようなド田舎にある。しかしかなり良い建物。

生徒もちゃんときれいに制服を着て、先生もたくさんいる。


トップのナカソロ夫婦は、めちゃくちゃ金持ち。

昔は中国やアメリカに留学して、息子の一人は今ロシアでパイロットになる為に留学している。

この間は「イスラエルに巡礼の旅に行ってきたのよ」なんて、見たことない服身につけて帰ってきた。

ウガンダでのそれは、かなりレベル高い。


その裏で、ナカソロ一族ではないスタッフは音を上げている。

ルナの秘書(事務)のヘレン。

私がここに来たときから、いろいろお世話になっているお隣さんでもある。

ヘレンの給料は、月40,000シリング。$23くらい。

ちなみに、私がJICAから生活費としてもらっているお金は、月$400。

そして更に、日本の銀行に、積立金として月に10万円が振り込まれている。はず。

まさに天と地の差です。


(これをボランティアと呼べるのか、疑問。)


ヘレンは私のお隣さん

そして向かいにはドライバーの第三婦人、ハリエットの部屋。

そしてドロシー。彼女は、他の団体で働いてて、この部屋を借りてるだけ。

私の部屋だけ2部屋ある。

(ちょっとややこしい!)


それで、今、厄介なことになっている。


ナカソロ一族のなんか娘だかなんだか分からないけど、

あんまり感じの良くない女の子が3ヶ月前くらいからルナで働きだした。

親戚だから、仕事を与えた、みたいなかんじで。

トップの指示で、ヘレンの部屋に彼女は居候していたんだけど


年が明けて、私が戻ってくると、

その女の子が、ヘレンの部屋に住んで、ヘレンははじっこの更に狭いトイレの隣の部屋に移動してた!


只でさえ暑さのこもる家なのに、ヘレンが押しやられた部屋は

窓もないめちゃくちゃ狭い部屋!


どうしたことかと聞くと、

学校の給食のためのトウモロコシを、置くための場所がないから

出て行ってくれ

といわれ、親戚の女の子がいいお部屋に住んで

他の私以外の三人は、出て行けと言われているそう。


ってことは、私はここに、

感じの悪いナカソロの女の子と、トウモロコシの間でこれから暮らすの!?

そんなの絶対いや!!


そしてトウモロコシの存在は日に日に大きくなっていく・・・

おととい、朝起きると、真ん中の共同スペースにびっしりとトウモロコシが敷き詰められ、

絨毯みたいになっている!

そして、そとから山羊やらニワトリが入ってきて、食べてる!


と、思ったら、

もう、これは、ルナを出るしかない。

と、今までため込んでた思いが爆発して、担当の調整員に電話!


「もう私、ルナとやっていきたくありません!!!」


(実際はもっと丁寧にいろいろ言った上で伝えたのだけれど・・)


そう、これまでため込んでいたものとは。


やることがない。

要請内容と全く違う。

ルナ自体経営的なNGOで、好きじゃない。

ナカセロ一家も、金儲けしたいという意が見え見えで好きじゃない。


なぜ、やることがないのかというと!!!!


ファンドが、ない!!!


学校運営は、生徒からの学費がある。

そしてナカソロ夫は、カンパラ(首都)で他の仕事をしてるから、かなり金がある。

じゃあなんでやる気もなさそうなのに、地域開発のNGOなんて始めたの?と思ってた。


そしてその答えも、残酷。


お金が入るから。


(つづく↓)


心ないNGOと心あるCBO②


つづき。

NGOは、資金を、大きな団体に要請する。

ルナの場合だと、USAIDとか。


2006年までは、ファンドをそこからもらっていたという。

でも2007年からは一切もらえていない。

ファンドをもらうために、かなり大量のプロポーザルを提出する。

そのプロポーザルの要請金額は、500,196,500シリング。

約2800万円。にせんはっぴゃくまんえん。


で、実際2006年にはUSAIDから560万円の資金をもらっている。

560万円って、日本円にしてもかなりの額だけど、これがウガンダの田舎で使われるとなると、とてつもない額なはず。


まさに、私の要請書に書いてあった

「年間予算12,800,000円」!?


こんな数字ほんとかな?と思っていたんだけど。


でも、それをどうやってそんなに使うのか。

この団体が、それほど大きな金額でコミュニティーを支援してきたとは到底思えない。


しかも、地域開発NGOとしての役割を持つスタッフは、私以外に2人。

他のスタッフは学校運営の事務。


 ヘレンによれば、それは、

ダイレクター一家の懐にかなりの金額が納まる、

ということ。


納得。納得過ぎる。


この一家の全員が、私はあまり好きじゃなかった。


フィールドに行って、村人達が心待ちに待ってくれてた中で、

ふんぞり返ってスピーチするナカソロスタッフ。


すごく嫌だった。

つまり、お金もうけのためにあるNGOということ。

リアルすぎる。


だから、ファンドがない今、スタッフは、やることも、やる気も、ないわけ。

そんな団体といて、

私だって、やる気ない。


ヘレンは、早くルナを辞めて、新しい職場を探したがっている。

でも、仕事がそう簡単に見つからないのがウガンダ。

たったの26ドルの給料だって、何度も滞納されて、自分から言わないと一向にもらえていない。

なんだこれは!!!

私が腹立つのは、ルナもだけれど

JICA!

なんで、こんなところに要請を出すのですか。

JICAの問題は、いろいろなところで指摘されているように、

要請を無理矢理作ってODA予算に見合うようにお金を使うことに必死になってるようにも見える。


そのせいで、

私みたいなところに、隊員が送られて、

そしてそこに入った隊員は、悩む。

私から見たJICAは、あまり居心地の良いものではない。
 

JICAは、要請をあげるために、

わざわざ、「ボランティアを無償で送りますよ。どうですか?」という方式。

本来なら、

「うちのここが足りないから、ボランティアを一人いれくれないか、」という形でしょう。 

「青少年活動」や、「村落開発普及員」という微妙な職種は、

まさに、隊員の数を増やして

日本はこんなに国際協力していますよ

っていう見せしめのための様なモノなのかもしれない。

ネット大公開でここまで言ったらひどいかもしれないけど、

でもね、以前、ミクシーにしか載せなかった日記に少し似たことを書いたら

 
なつさが抱えてる矛盾はさ、

協力隊だけの矛盾じゃなくてJICAの矛盾だし、国の矛盾だし、世界の矛盾だよね。」

と書いてくれた友達がいた。

 

私の意見や、視点が間違っているとかあっているとか、そんなのはどうでもよくって、

ただ、見たまま。感じたまま。それを伝えることがきっと必要なんじゃないかな

と思って、今回、自分の状況と感情を正直に書きました。

実際に自分がまさにその現場にいて切実に思うのは、

ODAの金額で日本の「国際協力」を誇らないで欲しい、ということ。

二本松の訓練所のJICAスタッフが、

「にほんのODAの順位は数年前まで1位だったのに、どんどん順位が落ちている。

もっと順位を上げなくては!」

と力説していた姿を思い出す。

私には、それがすごく情けない姿に見えたんだ。


それでも、自分なりにはっきりと目標や意味を持って熱心に活動に取り組んでいる人や、

配属先にとって本当に意味のあるボランティア派遣であるとか

任国の人と心からの信頼関係を作って、日本に帰ってからも繋げた

とか、そういうひとはきっとたくさんいて、


それはまさに良い「国際協力」なんだろうし

それがあってこそ、いろんなものが広がっていくだろうし。


けど、そうじゃなくて

もんもんとしているひとが、このウガンダだけではなくて

世界中にたくさんいるんだろう、と、思う。


意気込んで来たのに、要請が全然合わなくて、

諦めてほとんどの時間を遊んで帰っていく人も、たくさんいるんだろう、と、思う。

でも、そうして帰国する人を責められない。

JICAの「国際協力」のあり方を、見つめなおすべき。

同期の友達が言っていた。


協力隊なんて、JICAも大して重要視していない。

何もしなくても、何か残しても、どっちでもいいんだって思った。

ただ、派遣数として残せればいいんだって思えた。

 

いろいろ書きましたが・・・

私の場合は、個人的要因で落ち込んだりして更にやる気が失せていたんだけど、

どう考えても、この、配属先不適応という事実が、大きな要因になっているはず。

やる気がなかったから、

配属先を変えよう

とか少し思ったとしても、それすらする気がなかった。

 

この街、ここの人との関係はできあがってきてたから。

でも、もう、限界。

ルナに、あと一年半も、所属していたくない。

というのが、今の私の活動先の現状。

です。

(③心あるCBO編もよんでね)