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心ないNGOと心あるCBO①

(心ないNGO編)


今までブログを書いてきたけど、生活のことばかり書いて、活動に対しての部分を不透明にしてきたこと。

それを、今日は、書きたい。


私の配属先は、Lunar Community Development Foundation(ルナ地域開発基金)という、

カムリ県では比較的大きな地域NGO。

HIV/AIDSに対する啓蒙活動


これが、ルナの活動。

の、はず。


でも、私が来た7月から、ルナはほとんど活動をしていない。


最初は、応募時に自分で選んだ要請書の内容が頭にあったのだけれど

時間を掛けて、やっと、この団体がどんな団体なのか、理解できた。


ルナは、「ナカソロ一家」で経営・運営している地域開発NGO。

事務所の裏に私は、他の女性スタッフと住んでいる。


そしてややこしいのが、

ルナは学校を経営している。

Lunar International college 。 全くインターナショナルという言葉をどこからもってきたのか、というようなド田舎にある。しかしかなり良い建物。

生徒もちゃんときれいに制服を着て、先生もたくさんいる。


トップのナカソロ夫婦は、めちゃくちゃ金持ち。

昔は中国やアメリカに留学して、息子の一人は今ロシアでパイロットになる為に留学している。

この間は「イスラエルに巡礼の旅に行ってきたのよ」なんて、見たことない服身につけて帰ってきた。

ウガンダでのそれは、かなりレベル高い。


その裏で、ナカソロ一族ではないスタッフは音を上げている。

ルナの秘書(事務)のヘレン。

私がここに来たときから、いろいろお世話になっているお隣さんでもある。

ヘレンの給料は、月40,000シリング。$23くらい。

ちなみに、私がJICAから生活費としてもらっているお金は、月$400。

そして更に、日本の銀行に、積立金として月に10万円が振り込まれている。はず。

まさに天と地の差です。


(これをボランティアと呼べるのか、疑問。)


ヘレンは私のお隣さん

そして向かいにはドライバーの第三婦人、ハリエットの部屋。

そしてドロシー。彼女は、他の団体で働いてて、この部屋を借りてるだけ。

私の部屋だけ2部屋ある。

(ちょっとややこしい!)


それで、今、厄介なことになっている。


ナカソロ一族のなんか娘だかなんだか分からないけど、

あんまり感じの良くない女の子が3ヶ月前くらいからルナで働きだした。

親戚だから、仕事を与えた、みたいなかんじで。

トップの指示で、ヘレンの部屋に彼女は居候していたんだけど


年が明けて、私が戻ってくると、

その女の子が、ヘレンの部屋に住んで、ヘレンははじっこの更に狭いトイレの隣の部屋に移動してた!


只でさえ暑さのこもる家なのに、ヘレンが押しやられた部屋は

窓もないめちゃくちゃ狭い部屋!


どうしたことかと聞くと、

学校の給食のためのトウモロコシを、置くための場所がないから

出て行ってくれ

といわれ、親戚の女の子がいいお部屋に住んで

他の私以外の三人は、出て行けと言われているそう。


ってことは、私はここに、

感じの悪いナカソロの女の子と、トウモロコシの間でこれから暮らすの!?

そんなの絶対いや!!


そしてトウモロコシの存在は日に日に大きくなっていく・・・

おととい、朝起きると、真ん中の共同スペースにびっしりとトウモロコシが敷き詰められ、

絨毯みたいになっている!

そして、そとから山羊やらニワトリが入ってきて、食べてる!


と、思ったら、

もう、これは、ルナを出るしかない。

と、今までため込んでた思いが爆発して、担当の調整員に電話!


「もう私、ルナとやっていきたくありません!!!」


(実際はもっと丁寧にいろいろ言った上で伝えたのだけれど・・)


そう、これまでため込んでいたものとは。


やることがない。

要請内容と全く違う。

ルナ自体経営的なNGOで、好きじゃない。

ナカセロ一家も、金儲けしたいという意が見え見えで好きじゃない。


なぜ、やることがないのかというと!!!!


ファンドが、ない!!!


学校運営は、生徒からの学費がある。

そしてナカソロ夫は、カンパラ(首都)で他の仕事をしてるから、かなり金がある。

じゃあなんでやる気もなさそうなのに、地域開発のNGOなんて始めたの?と思ってた。


そしてその答えも、残酷。


お金が入るから。


(つづく↓)


心ないNGOと心あるCBO②


つづき。

NGOは、資金を、大きな団体に要請する。

ルナの場合だと、USAIDとか。


2006年までは、ファンドをそこからもらっていたという。

でも2007年からは一切もらえていない。

ファンドをもらうために、かなり大量のプロポーザルを提出する。

そのプロポーザルの要請金額は、500,196,500シリング。

約2800万円。にせんはっぴゃくまんえん。


で、実際2006年にはUSAIDから560万円の資金をもらっている。

560万円って、日本円にしてもかなりの額だけど、これがウガンダの田舎で使われるとなると、とてつもない額なはず。


まさに、私の要請書に書いてあった

「年間予算12,800,000円」!?


こんな数字ほんとかな?と思っていたんだけど。


でも、それをどうやってそんなに使うのか。

この団体が、それほど大きな金額でコミュニティーを支援してきたとは到底思えない。


しかも、地域開発NGOとしての役割を持つスタッフは、私以外に2人。

他のスタッフは学校運営の事務。


 ヘレンによれば、それは、

ダイレクター一家の懐にかなりの金額が納まる、

ということ。


納得。納得過ぎる。


この一家の全員が、私はあまり好きじゃなかった。


フィールドに行って、村人達が心待ちに待ってくれてた中で、

ふんぞり返ってスピーチするナカソロスタッフ。


すごく嫌だった。

つまり、お金もうけのためにあるNGOということ。

リアルすぎる。


だから、ファンドがない今、スタッフは、やることも、やる気も、ないわけ。

そんな団体といて、

私だって、やる気ない。


ヘレンは、早くルナを辞めて、新しい職場を探したがっている。

でも、仕事がそう簡単に見つからないのがウガンダ。

たったの26ドルの給料だって、何度も滞納されて、自分から言わないと一向にもらえていない。

なんだこれは!!!

私が腹立つのは、ルナもだけれど

JICA!

なんで、こんなところに要請を出すのですか。

JICAの問題は、いろいろなところで指摘されているように、

要請を無理矢理作ってODA予算に見合うようにお金を使うことに必死になってるようにも見える。


そのせいで、

私みたいなところに、隊員が送られて、

そしてそこに入った隊員は、悩む。

私から見たJICAは、あまり居心地の良いものではない。
 

JICAは、要請をあげるために、

わざわざ、「ボランティアを無償で送りますよ。どうですか?」という方式。

本来なら、

「うちのここが足りないから、ボランティアを一人いれくれないか、」という形でしょう。 

「青少年活動」や、「村落開発普及員」という微妙な職種は、

まさに、隊員の数を増やして

日本はこんなに国際協力していますよ

っていう見せしめのための様なモノなのかもしれない。

ネット大公開でここまで言ったらひどいかもしれないけど、

でもね、以前、ミクシーにしか載せなかった日記に少し似たことを書いたら

 
なつさが抱えてる矛盾はさ、

協力隊だけの矛盾じゃなくてJICAの矛盾だし、国の矛盾だし、世界の矛盾だよね。」

と書いてくれた友達がいた。

 

私の意見や、視点が間違っているとかあっているとか、そんなのはどうでもよくって、

ただ、見たまま。感じたまま。それを伝えることがきっと必要なんじゃないかな

と思って、今回、自分の状況と感情を正直に書きました。

実際に自分がまさにその現場にいて切実に思うのは、

ODAの金額で日本の「国際協力」を誇らないで欲しい、ということ。

二本松の訓練所のJICAスタッフが、

「にほんのODAの順位は数年前まで1位だったのに、どんどん順位が落ちている。

もっと順位を上げなくては!」

と力説していた姿を思い出す。

私には、それがすごく情けない姿に見えたんだ。


それでも、自分なりにはっきりと目標や意味を持って熱心に活動に取り組んでいる人や、

配属先にとって本当に意味のあるボランティア派遣であるとか

任国の人と心からの信頼関係を作って、日本に帰ってからも繋げた

とか、そういうひとはきっとたくさんいて、


それはまさに良い「国際協力」なんだろうし

それがあってこそ、いろんなものが広がっていくだろうし。


けど、そうじゃなくて

もんもんとしているひとが、このウガンダだけではなくて

世界中にたくさんいるんだろう、と、思う。


意気込んで来たのに、要請が全然合わなくて、

諦めてほとんどの時間を遊んで帰っていく人も、たくさんいるんだろう、と、思う。

でも、そうして帰国する人を責められない。

JICAの「国際協力」のあり方を、見つめなおすべき。

同期の友達が言っていた。


協力隊なんて、JICAも大して重要視していない。

何もしなくても、何か残しても、どっちでもいいんだって思った。

ただ、派遣数として残せればいいんだって思えた。

 

いろいろ書きましたが・・・

私の場合は、個人的要因で落ち込んだりして更にやる気が失せていたんだけど、

どう考えても、この、配属先不適応という事実が、大きな要因になっているはず。

やる気がなかったから、

配属先を変えよう

とか少し思ったとしても、それすらする気がなかった。

 

この街、ここの人との関係はできあがってきてたから。

でも、もう、限界。

ルナに、あと一年半も、所属していたくない。

というのが、今の私の活動先の現状。

です。

(③心あるCBO編もよんでね)


心ないNGOと心あるCBO③

(心あるCBO編)

配属先の現状というダークなブログでしたが、続きがあるんです。

ルナとはほとんどなにも進んでいないんだけど

だからといって、なんにもしてない訳じゃないんです。


来て3ヶ月頃に行ったOVCワークショップでたまたま隣だった人が、

今の私にとって、とっても重要な存在になっている。

彼の名前は、Mr.Peace!

牧師さんなので、Pastor!と呼ばれている。


彼の人生と、私と彼の関わりを紹介します。


Peace Katulege(ピース カテレゲ)通称Pastor(パスター)

1969年生まれ、現在40歳。素敵な奥さんと7人のかわいい子どもに囲まれている。

肩書きは、教会の牧師さん、大工さん、

そしてKAMCAREという小さなCBO(地域ベース団体)のコーディネーター。

パスターの家族は、日本人が聞いたらちょっとびっくりすると思う。

まず、彼の兄弟は72人!

というのは、彼の父は12人の妻がいた。その12人の妻の間に72人の子どもを作ったのです。そう、一夫多妻という文化が少なからず残っているウガンダならでは。


そして更に驚くのが、72人の兄弟のうち、53人が既に亡くなっています。

彼のお父さんも、彼が小さかった頃に交通事故で亡くなりました。


パスターの本当の兄弟(お母さんが一緒の兄弟)は10人いました。

一番上のお兄さんは小さい頃亡くなりました

二番目のお兄さんは、現在AIDSを発症しています。奥さんは既にAIDSで亡くなっています

三番目のお兄さんは子どもを3人残して奥さん共にAIDSで亡くなりました

四番目のお兄さんも、AIDSで亡くなりました。7人いた子どもは全員亡くなりました

五番目のお兄さんは自殺したそうです。

六番目がパスターです。

七番目の弟もAIDSで亡くなりました

八番目の妹は夫からHIVに感染し、AIDSで苦しんでいます。夫とは離婚して4人の子どもが残っています

九番目の弟は、遠くで元気に生きています。

十番目の妹は、小さい頃にマラリアで亡くなりました。

 ・・

というのが彼の兄弟の話。

信じられないような話だけれど、信じる以外ないみたい。

以前、彼の実家に連れて行ってもらったときに

家の後ろの庭にたくさんのお墓があって

「これが、お父さん。これが、二番目のお兄さん。これが、弟、これが・・・・」

と説明されたことがある。


パスターの奥さんは一人で、

(現在は教育をちゃんと受けている人は一夫多妻制を批判しています)

5人の子どもがいる。

3才のDeborah、5才のGift、8才のRebecca、10才のMuwanguzi、13才のHarvest。

みんな、めちゃくちゃ、かわいい。


それから、親戚の孤児(10才のDiana, 15才のJoseph)を預かっているから、

7人の子どもがいる。


ウガンダは、家族や親戚のつながりがとっても強い。

だからさっき紹介したパスターの兄弟に残されて孤児となってしまった子どもたちや

病気の兄弟、年取ったお母さん、そしてさらにはお父さんの他の奥さんの間に出来た兄弟72人のうち、既に亡くなっている53人が残していった子どもたち・・・全部で92人の孤児(両親、片親を亡くした子ども)が親戚にいるわけで、健康なパスターは彼らを少なからず面倒を見ているという。

ウガンダでHIV感染率が爆発的な感染流行した時期が、まさにパスター一家を襲っている。

1991年にはウガンダの農村を中心に感染率は30%を超えている。


それでも、ここまでぼろぼろになった家族は珍しいのでは?と聞くと、

家族に何かの悪い魔法がかけられた・・・と彼自身言っているくらい。

そんなパスターは、なんとか必死に学校を卒業して

大学後はケニアに留学したり、大工さんになるためにテクニカルスクールに通ったりと

かなり優秀に育ったのでした。

家族がこんな目にあっているから

本当に心の痛みを分かる人だと思う。


それで彼は、自分でHIV/AIDS予防と孤児・家族を支えるためのCBOを立ち上げた。

Kamuli HIV/AIDS prevention and Family care project. KAMCARE)


④につづく(長くてすいません!)



心ないNGOと心あるCBO④


(心あるCBO編 つづき)


私は今、配属先以外の活動として、このKAMCAREと関わっている。

配属先であるルナとは対照的。


KAMCAREは、今までにファンドをもらったことがない。

メンバーは、彼の教会メンバーがボランティアで関わっている。

お金は、彼が自分で出していたり、教会メンバーから集まったほんの少しのお金をなんとかやりくりして、小さな活動を続けている。


本当にお金がないから、

村を巡回して支援している家に行っても、石けんや砂糖を買っていってあげたり

HIV陽性者や未亡人、孤児を抱える家の人たちの話を聞いてあげたり。


私は、一緒に家を回ることで何が出来るのかまだわからなくて、

ただ一緒に回っているだけなんだけれど

そうすると、病気で寝込んでいるのにお金が無くて病院にいけない人と出会ったり

孤児だけで住んでいる子どもが、本当に貧しい生活をしていたりする。


もしも私が

JICAからもらっているたくさんのお金の中からほんの少し分けてあげたとして

その私にとってはほんの少しのお金だけで、

病院に行けたり、蚊帳を買えたり、するはず。


でも、それでいいのか、わからなくて、まだ私は何も出来ていない。


村に行くとすごく歓迎されるけど、

きっとそれは、外国人=お金持ち=なにかくれるかも。 だと思う。

私がお金を払えば、その場しのぎは出来るけれど根本的な部分は何も変わらないまま。

そんな中、パスターが教会のメンバーと建てた小さい小学校に行く機会があった。


パスターが、自分の生まれた村で

エイズ孤児になってしまった子ども達や、

エイズや様々な影響を受けた子ども達のために建てた学校だ。

その小学校は、生徒が80人、先生4人。(常に全員いるわけではない。)

学校の校舎は、泥で造ってあって、いつ壊れてもおかしくないようなぼろぼろの校舎。

入りきらない生徒は、外の木の下で勉強している。



夏沙のブログ-がっこう

緑に囲まれたこの小学校の生徒は、みんなすっごくかわいくて

真っ直ぐな、いい顔してる!


個人的には、木の下で授業なんてかわいい!

なーんて思うけど、

実際この学校の現状は、先生にもほぼ給料が支払われていなくて

生徒の給食は、トウモロコシの粉をどろどろに溶かした飲み物だけ。


超・貧乏学校!


それでもこの小学校がその村にあることの意味は大きい。

ウガンダは、初等教育完全無料!ということになっているけれど

それでも貧しさ、いろんな理由で、学校に通えない子どもがいる。

政府の学校に通うには、無料とはいっても

制服、給食費、ノートやえんぴつなどを揃えなくてはいけなくて、

親がそれすら払えない子どもは、学校に通っていないことが多い。


政府の学校には問題が山積みのようだ。

先生が授業をサボる、体罰、教育レベルの低さ、クラスに生徒を詰め込みすぎ・・等。


パスターの小学校は、

制服が買えなくても、大丈夫。どんな服を着てきてもいい。

先生の不足はあるが、少人数で政府の学校よりは教育レベルが高い(と言ってる。)

授業料が払えなくても、学校を辞めさせられることはない。

パスターは、いろいろな未来への展望を持っている人だ。

その内容を聞かせてもらうと

・教会(自分で建てた)をもっと丈夫な作りにしたい。

・家の裏に貸家を作って、お金をつくりたい。

・小学校を大きくして、もっとたくさんの子どもを学校に通わせたい。

・いつかはパソコンを事務所に置いて、データをパソコンで管理したい。

 と。


そこでわたしは、あのステキな小学校を大きくするためのお手伝いがしたい。

と思って

校舎を増築するための資金協力を日本の団体に要請するための

プロポーサルは、年を越す前に書いて、提出したところ。


うまくいけば、約30万円のドネーションで、新しい校舎を建てられる。


それだけじゃ、まだまだ問題山積みだけれど、

地域の人やパスターにとって、この進展が大きな意味を持つことは確かだと思う。


新しい校舎が建てば、村でまだ小学校に通えていない子ども達のうち、

約60人くらいが新たに通えることが出来る。


それで

今月から始まった学校で

私はボランティアの先生を始めた。

英語とか算数とかを教えることに。まだまだ始まったばかりだけれど、

子ども達のレベルは、かなり低いことはわかる。


それから、ここの先生は、地域コミュニティーに対してもいろいろ小さな活動を広げているんだ。

ちっぽけな私がいきなり小学校の先生になっちゃって

どんなお手伝いができるかなんてわかんないけど


それでもとりあえず必要としてくれる場所にいられることは

私にとってもすごくポジティブだ。


こんなかんじで、少しずつだけれど動いています。



やっと。

配属先のことが書けました。

この文章も、2ヶ月以上前から書いてあったんだけど

なかなか載せるタイミングがなかったんだ


また、報告します。


夏沙のブログ-パスター


ウガンダ生活!NGO編

そうそう、私は今、「青年海外協力隊」なんですね!

「協力隊」なんて名前は、なんて気持ち悪い名前なんだろう!
と思いながら、一年前に合格通知をもらって、
悩んだあげくに、第一希望でそれしか受けなかった会社に内定承諾書まで出してたのを断って、「協力隊」に行きます!って言ってしまったのでした。

青年海外協力隊。なんたって、「隊」ってのがあやしい。
わざわざ広辞苑で「隊」を調べると、
①共同の行動を取るために組織された集団。
②兵士の組織の一単位。
③律令制の集団で兵士50人から成る部隊。

だって。
やっぱり、あやしいと思った。

「協力隊員」になった今でも、やっぱりなんかいやだ!

とか言いながらも、「隊員」って普通に使う仲間に囲まれてると、
なんだか違和感は薄れてきて、自分協力隊でーす、みたいな感じになってきたが・・・(笑)

そう、話を戻します。
で、私は、ほとんど、就職する気だった。「就職」したかった。
協力隊受けたのは、本当に受かったら考えればいいかという軽い気持ちだった。

でも、2年間アフリカ、という選択肢が増えてしまった時に私の背中を押したのは
またしてもポジティブすぎる両親でした。
「どうせ就職したって2年くらいで辞めるんだから、ウガンダ行きなさいよ」と母。
「就職しても1年くらいでやめるんでしょ、ウガンダなんて楽しそうじゃん」と父。

父・母、2人とも同じ事を言うので、「だよね~!」と思ってウガンダ行きを決めたのでした。
そして今、気持ち悪い名前だなぁ!と思っていた「協力隊員」としてウガンダにいるのです。
・・・・(笑)

応募するときに、要請書を見ながら第三希望までかけるんだけど、
わたしは
①地域NGO ②新規要請 ③英語圏 という条件でウガンダを第一希望にした。

ちなみに第2希望、第3希望、は、ペルー・ニカラグア。

そしてラッキーなことに、ウガンダ希望者が少なかったのか?第一希望で通ってしまった。

だから、この3つの条件そろって今私は、
ウガンダのカムリという小さな街の(ウガンダにしては小さくはないらしい)
「ルナ」という地域NGOに配属されているのです。

ルナが何をしてるかというと、
大きく言えば「地域開発」なんだけど、けっこう幅広い範囲で活動をしている。
Health Unitがあって、
これは毎週水曜日に村々を回って赤ちゃんやお母さんたちに予防接種をする、というもの。

それから、村々の地域団体とパートナーをくんで、
その村の貧困問題に対して何か活動していく、というかんじ。

だから私の活動は、週2~3でフィールド(村)まで車で行き、そこで地域開発の活動をする。

はずなんだけど、ここはンポランポラ(ゆ~っくり)なウガンダ。
思うように事は進まないのですが。

村に行くと、まさに「一日一ドル以下で生活」してる人たちが待っている。
私の目から見たら貧困すぎて問題ありすぎで何から手をつければいいのか。
と見えてしまうけれど、基本、村の人たちは笑っていて幸せそうには見える。

村には貧困問題がもちろんあるけど、その前にルナにも問題あり。
だって、みんなのんびりしすぎていて、
地域開発なんて言ったってそんなにンポランポラしてたら
一向に地域開発は進まないんじゃ・・・?と一ヶ月見てきて思う。

まず、車があるだけいいんだけど、
その車を大人数で頼っているから、フィールドに行ける回数が少なすぎる。
一日、車を待って終わってしまったり、
やっと車が来たけれど、
出発したのが遅すぎてフィールドに着いたら暗くなってきて何もできなかったり。

先週は、日曜日にディレクターの息子の卒業パーティーが大々的にあって、
その準備のために車が行ったり来たりしていたために、
フィールドに行くと言われていた日は全て行けなかった。

ルナの人たちは、のんびりだけれど
、村のCBOの人たちは、早く来てほしがっているのを知ってる。
2週間も3週間も、一ヶ月も!待たせてる。
でも、無理矢理、日本人の感覚に合わせて時間やプランをきちんと立てて・・
ということもしたくないし、とりあえず今は、私は新米の身なので、
黙って彼らの日常を観察して彼らの日常に合わせているんだけれど、
そろそろ、うずうずしてきた。

村はね、本当に貧困!「貧困とは」という定義を語るのは置いておいて、
とりあえず、私が行くフィールドの様子を紹介します。

カソルウェ

これは、カソルウェという村のCBOを訪れたとき。

孤児、障害児・者、未亡人、PLWHA(HIV陽性者)を地域で支援している団体。
ルナの車が着いたのは予定時刻よりもかなり遅かったにもかかわらず、
CBOがターゲットにしている人たちが集まって、みんな待ってくれていた。
私たちがつくなり、女性たちは歓迎の踊りを披露してくれて、
外国人の私が来たことで
「来てくれてありがとう、何か持ってきてくれてありがとう、」
と次々に握手を求められた。

カソルウェの村をまわって、彼らの住む家々を訪問していくと、
日本で先進国ライフを知っている私から見たら天と地のような家や生活と出会う。

村

私の住んでいるところでさえも、
日本のイマドキな同世代の子たちは3日間で嫌になって日本に帰っちゃうかもなって思うから、
この村での生活はまさか想像もつかないだろう、と、
「イマドキ」からは遠く離れた私はしみじみと思う。

電気・水道がないのは当たり前。
子どもたちはぼろぼろの服を着て裸足で走り回ってる。
裸ん坊で泥まみれの子どもも元気に手を振ってくる。

こどもたち

(左の子どもは、頭の腫瘍がどんどん大きくなっていくけれど病院に行くことができずにいる。)

widouのおばあちゃん

未亡人の女性。
家に入れてもらうと、ベットもなくて、ただのマットの上に一人で暮らす。家の中の環境はかなりひどい。

おばあちゃんの家

障害児を2児抱える家族。

disability

家の中に入ると、上半身裸のままの19歳の障害を持つ女の子が、地べたに座り込んでいた。家族はただ彼女がいて、何もできないというかんじ。

目の見えないおじちゃん

盲目の男性は、子どもを学校に通わせるお金がないから支援してくれと言ってきた。

キャッサバ

PLWHAを含むダンスグループも、私たちを歓迎して
、一人では絶対に料理もしきれないほどのずっしり重いキャッサバをプレゼントしてくれた。
このダンスグループは、HIV/AIDSを予防するためのダンスや劇を作って地域で活動している。

Health unitで村を訪れると、お母さんたちが子どもを連れて集まってくる。
その子どもたちに、ポリオややらの予防接種を施していく。
日本で予防接種というと、清潔な場所で、腕を消毒されて・・というイメージだけれど、
こでは、めちゃくちゃテキトウ!!!
木の下で、消毒もなしに赤ちゃんたちにブスブスと注射を打っていく。

ヘルスユニット

注射針深く刺しすぎじゃない・・・?
うわぁお、めっちゃ血出てるけど・・・
医療廃棄物を下に投げ散らかしていいのか・・・?
(一応注射器だけははちゃんと箱に入れていく。)
>医療現場に関わったことのない私がヘルプしてていいのか・・・??
・・・と、疑問だらけ。

でも、この村々では、ルナのヘルスユニットだけが今のところ、予防注射に来てくれるチャンス。

道も悪くて、雨が降ったら行けないような場所にある村だから
今まで予防注射なんて一度もしたことのなかった子どもたちもいる。

そして、まさにポリオにかかった女の子が、
予防注射で集まっている人から少し離れた地べたで呆然と座り込んでいたりする現実。

毎週水曜日は行くはずだけれど、
いまのところ、50%の確率で、行ってもワクチンがなく引き返す、という状況。

そこで私が学んだのは、一緒に行くスタッフに、行く前に
「今日使えるワクチンあるか、村のドクターに電話した?」
って聞けばいい!という単純なこと。

時代が違うような街の風景に似合わず、
かなりの人がコンパクトなケータイをもって街中でいじっているというのに
(カラーとかいいの使っている人も。)便利な携帯を便利に使えていない。
1時間も離れた村に、でこぼこ道を車にゆっさゆっさと揺られながら行くんだから、
行く前に連絡しようよ・・・とね。

そんなこんなで、アフリカンタイムにいらいらさせられることもありながら、
すこーしずつだけれど、このNGOをわかってきた、という段階かなまだ。
こっちの時間の流れだと、日本のように思うように事が進まないけれど、
それも勉強!とおもってやっていこうと思います。

ではでは、おしまい!